名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)138号 判決 1969年11月21日
原告
山田覚
ほか一名
被告
川瀬延彦
ほか一名
主文
一、被告らは、各自、原告山田覚に対し、五四万〇、四三〇円、同栗田きくゑに対し、三七万三、〇三〇円、および、これらに対する昭和四三年一月二五日から各完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らのその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
四、本判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告ら
「被告らは、各自、原告山田覚に対し、一〇五万七、二八二円、同栗田きくゑに対し、七七万三、〇三〇円、およびこれらに対する昭和四三年一月二五日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告ら
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
第二、請求原因
一、事故の発生
原告山田覚(以下単に原告山田という)が運転し同栗田きくゑ(以下単に原告栗田という)が同乗する小型貨物自動車―三河四さ三一二四号―(以下単に原告車という)が、昭和四二年三月一日午前一一時三〇分頃、国道一五一号線の豊川市中条字小松一〇九番地先付近において、折からの対向車を通過せしめるべく停車していたところ、被告川瀬一仁(以下単に被告一仁という)の運転する小型貨物自動車―愛四ら四八六三号―(以下単に被告車という)に追突され、右事故により、原告らは共に、頭蓋骨亀裂骨折、頭部挫傷、および頭部外傷後遺症の重傷を負つた。
二、被告らの責任
(一) 被告一仁
本件事故は、被告一仁が道路前方左右を注視し、先行車への追突、対向車との衝突等の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠り、漫然、進行した過失により発生させたものである。
(二) 被告川瀬延彦
被告川瀬延彦(以下単に被告延彦という)は、被告車の所有者で製綿業を営み自己の長男である被告一仁を雇い、その自動車運転業務に従事させていたもので、本件事故は、被告一仁が当該業務執行中に惹起したものである。
よつて被告一仁は民法七〇九条に基き、被告延彦は自動車損害賠償保障法三条、又は民法七一五条に基き、それぞれ本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。
三、損害
(一) 原告山田
(1) 治療費 一〇万七、二八二円
原告山田は、本件事故による負傷のため、弥生可知病院において昭和四二年三月九日から同年一一月三〇日迄一一二日間に亘る入院治療、一五五日間に亘る通院治療をなし、その費用、計五二万八、九六〇円の損害を蒙り、その内金として保険より四〇万円、被告延彦より二万一、六七八円の支払を受けた。
(2) 得べかりし利益の喪失 三五万円
原告山田は、田三反六畝、畑一町を耕作しており、通常所得は、田は米作で反当り五万円といわれ三反六畝で一八万円、畑は七反で麦、甘藷を作つており、反当り五万円といわれており七反で三五万円、残る畑三反は野菜、果樹を作り所得反当り六万円といわれており三反で一八万円、以上合計七一万円程になるところ、山田方の耕作従事者は原告山田の外に、妻冨美子、父敏郎、母初音がいるが、妻は三歳の幼児を抱えており、父母も又老令のため、原告山田が主として経営している。ところが、昭和四二年度は原告山田が三月に本件事故により負傷したため同年一一月まで全く働くことができなかつたため、所得は半減しており、原告山田は少なくとも前記七一万円の約半額に当る三五万円を下らない得べかりし利益を喪失したものである。
(3) 慰藉料 六〇万円
被告一仁の一方的過失が原因である本件事故により、原告山田は、前記の如き入院、通院期間を要する頭蓋骨亀裂骨折、頭部挫傷という重傷を負つたのみならず、現在頭部外傷後遺症を残し、耳鳴り、頭痛、眩まいを感じ、いつ治るか知れないという不安のため、その精神的苦痛は甚大であるところ、その損害は七〇万円に相当するものであるが、その内金として保険より一〇万円の支払を受けた。
(二) 原告栗田
(1) 治療費 一七万三、〇三〇円
原告栗田は、本件事故による負傷のため、前記弥生可知病院において昭和四二年三月九日から同年一〇月三一日まで一一二日間に亘る入院治療、一二五日間に亘る通院治療をし、その費用、計五九万四、七五二円の損害を蒙り、その内金として保険より四〇万円、被告延彦より二万一、七二二円の支払を受けた。
(2) 慰藉料 六〇万円
斟酌すべき事情は原告山田につき記したものと同様でその精神的損害は七〇万円に相当するが保険より慰藉料該当分として一〇万円の支払を受けた。
四、結論
よつて原告らは、被告ら各自に対し、原告山田につき一〇五万七、二八二円、同栗田につき七七万三、〇三〇円と右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四三年一月二五日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、請求原因に対する被告らの答弁
一、請求原因一項の事実中、原告ら主張の日時、場所において被告一仁運転の被告車が原告山田運転の原告車に追突したことは認めるが、その余の事実は否認する。
二、同第二項の事実中、被告車の所有者が被告延彦であること、被告延彦が製綿業を営むことは認めるが、その余の事実は否認する。
三、同第三項の事実中、原告らが原告主張の金員の支払を保険及び被告延彦より受けたことは認めるが、その余の事実は争う。
第四、被告らの抗弁
本件事故は、原告山田の過失にもその一因がある。すなわち、事故当時被告車は原告車の後方四・五メートル位の車間距離をおいて追尾していたが、このような場合原告山田は自動車運転者としては後続車の動静をたえず注視し、停車する場合は予め合図等をして後続車の追突等を防止するための措置を講ずべき業務上の注意義務あるのに、これを怠り、後続車たる被告車に対し、何らの措置も講ぜず急停車した過失により被告車をして原告車に追突せしめたもので、損害額の算定に当り、右過失を斟酌すべきである。
第五、被告らの抗弁に対する原告らの答弁
抗弁事実は否認する。被告車は原告車を四・五メートルの車間距離を保つて追随していたものでなく、原告車が停車しているところに被告車が後から走行してきて追突したものである。仮に本件事故が被告ら主張の態様で発生したとするも、これは被告一仁において必要な車間距離を保持すべき義務を怠つたことによる一方的過失によつて発生したもので、原告山田には全く過失はない。
第六、証拠〔略〕
理由
一、事故の発生と原告らの受傷の程度
原告ら主張の日時、場所において、北進中の被告一仁運転にかかる被告車が原告山田運転にかかる原告車に追突したことは当事者間に争いがない。
そこで原告らの傷害の程度について検討する。〔証拠略〕によれば、医師である右証人は原告らの傷害に対し、原告ら主張のような内容の診断を与え、〔証拠略〕によれば、同じく医師である右証人は原告らの傷害に対し「後頭部挫傷」という診断を与え、両医師の診断結果に若干の相異が認められるが、右各証拠によつて認められる両医師が原告らを診断した時期及びその期間、診断方法・回数等を比較勘案すれば、本件事故により、原告ら両名がいずれも原告ら主張のとおり頭蓋骨亀裂骨折、頭部挫傷、および頭部外傷後遺症なる傷害を負つた事実を認めることができる。
二、被告らの責任
(1) 被告一仁の責任
〔証拠略〕を総合すれば、被告一仁運転の被告車は、国道一五一号線を原告山田運転の原告車に追随して北進走行し本件事故現場にさしかかつたが、現場付近では原被告車の車間距離は数メートルないし一〇メートルで、被告車の時速は約三〇キロメートルであつたこと、一方原告山田は現場付近は道路幅員が六メートルと狭い上道路前方に一台の自動車が停車していたので、対向して走行してきた大型トラックを通過させるべく、通常の制動方法で停車し、同乗していた原告栗田と一、二言葉を交わすや間もなく原告車の後部に被告車が追突し、この衝激で原告らは原告車の後部ガラスに後頭部を殴打したが、被告一仁は追突する直前まで原告車に気ずかず被告延彦の驚愕の声を聞いて急ブレーキをかけたが間に合わず遂に追突したことが認められる。
右の事実によれば、被告一仁は右のような道路・交通状況においては進路前方を注視し、先行車の動きに注意し、それとの追突等を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、漫然前記速度のまま進行した過失により、前記の如く既に停止していた原告車に追突し、本件事故を惹起したものと認めることができる。
したがつて被告一仁は、原告らに対し、民法七〇九条に基いて後記損害を賠償すべき義務あること明らかである。
(2) 被告延彦の責任
被告延彦が被告車を所有していたこと、および同人が製綿業を営んでいたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、被告延彦の長男である被告一仁は、名鉄に勤務するところ、偶偶本件事故当日が会社の休日で、而も家業が忙しかつたので、被告延彦の依頼により、荷物を積んで被告延彦を助手席に同乗させて豊橋から帰宅途上、本件事故に遭遇した事実が認められる。
右の事実関係においては被告一仁が当日に限つて偶々被告車を運転したかどうかにかかわらず、被告延彦が被告車を自己のために運行の用に供したことは明らかである。したがつて被告延彦も自賠法三条により被告一仁と連帯して原告らの後記損害を賠償する義務がある。
三、損害
(一) 原告山田の損害
(1) 治療費 五二万八、九六〇円
〔証拠略〕を総合すれば、前記の負傷のために入院、通院治療費として少なくとも右の額の損害を蒙つた事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(2) 逸失利益 二三万三、一四八円
〔証拠略〕によれば、原告山田は農業に専従し、昭和四二年当時田約三六アール(約三反六畝)、畑は麦、甘藷等を作る普通畑約五七アール(約五反七畝)、野菜、果実等を作る野菜畑約三八アール(約三反八畝)を耕作しており、原告山田の居住している地方では年間一〇アール(一反)当りの平均収益は通常、田につき四万四〇〇円、普通畑につき五万円、野菜畑につき七万三、六〇〇円がみこまれると認められるが、原告山田方においては昭和四二年は、田のうち三一・二アールが八分作、畑のうち作付ができなかつたのが二四・五二アール、畑のうち作付はしたが後の手入れが不十分のため取り入れのできなかつたものが野菜畑のうち三五・八アール、普通畑のうち一一・〇アール存し、〔証拠略〕を総合すると、右のような農作物の不作は原告山田が本件事故による受傷のため昭和四二年度は農作業に従事することがほとんど不可能であつたことが原因であると推認される。更に〔証拠略〕によれば、原告山田方の家族構成は本人(三二歳)のほかに、妻(二四歳)、娘(三歳)、父(六四歳)、母(五九歳)、弟(二一歳―年令はいずれも昭和四二年当時)の六名であるが、父、母、弟、妻は老令あるいは病身あるいは幼児の世話のため十分に農作業ができず原告山田が同家の農業経営の主体となつている事実が認められるので、原告山田の同家の農業経営に対する寄与率は五割を下らないと認めるのが相当である。したがつて原告山田の休業による損害は次の計算方法によつて算出すべきである。
・田 40,400円×31.2/10×(1-0.8)×0.5=12,604円……<1>
・作付不能の畑(普通畑と考えて) 50,000円×24.52/10×0.5=61,300円……<2>
・収穫不能の畑
普通畑 50,000円×11/10×0.5=27,500円…………<3>
野菜畑 73,600円×35.8/10×0.5=131,744円………<4>
<1>+<2>+<3>+<4>=233,148円
よつて原告の休業による損害は二三万三、一四八円と認められる。
(3) 慰藉料 三〇万円
〔証拠略〕によれば、原告山田は、後記のごとく自己側に過失の全く存しない本件事故により入院治療実日数一一二日間、通院治療実日数二五日間の負傷をし、現在も後遺症が残り、耳鳴り、頭痛、眩まい等を感じ、治療の見通しについて不安を感じている事実が認められる。
以上のような原告山田の蒙つている精神的苦痛に対する慰藉料としては右金額が相当である。
(二) 原告栗田の損害
(1) 治療費 五九万四、七五二円
〔証拠略〕を総合すれば、前記負傷のため、入院通院治療費として少なくとも右の額の損害を蒙つた事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(2) 慰藉料 三〇万円
斟酌すべき事情は原告山田について記したものと同様である。
四、過失相殺
前記認定のごとく本件事故に際し被告らの主張するように原告山田が急制動をかけた事実は認められず、本件事故は被告一仁の前方注視義務懈怠によつて惹起されたもので、原告側に過失があつたとは認められないから、被告らの過失相殺の主張は理由がない。
五、保険金等の受領
原告山田が保険から五〇万円、被告延彦から二万一、六七八円、合計五二万一、六七八円の、原告栗田が保険から五〇万円、被告延彦から二万一、七二二円、合計五二万一、七二二円の各支払を受けていることは原告らの自認するところであるから右金額分だけ原告らの損害額より差し引く。
六、結論
よつて原告らの被告ら各自に対する本訴請求のうち、原告山田において、第三項の(一)の合計額一〇六万二、一〇八円から第五項の五二万一、六七八円を控除した五四万〇四三〇円、同栗田において第三項の(二)の合計額八九万四、七五二円から第五項の五二万一、七二二円を控除した三七万三、〇三〇円、および各々これらに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明かな昭和四三年一月二五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 高橋一之 村田長生)